どんな時にもジャッジではなく、愛がある。
一つの同じ雲を見続ける事はできない。
それは存在しないのだから。
そこには広い、広い空がある。
でもエゴにもありがとうと言いたい。いつも私を安全にしてくれようと、守ろうとしてくれてありがとう。
ふっとインクワイアリーは祈りのようだなと思った。
そういう風に感じることが自分でも意外な感じがして、少し驚いた。外観が違うというか何か要素が違う感じがするものが、自分の中で通じた感じ。
何に対しての祈りだろう?
自分の魂、かな。言葉にすると。
自己探究して自分の中の色々に触れていく、それが魂や存在に捧げる祈りのように感じた。
インクワイアリーが祈りのようだなんて、すごく究極的かもしれないけど、今までDLTでインクワイアリーを続けてきて、自分の中にふと湧いて出てきたこと。
そこには神聖な真があるということ、再発見した。