ラダックの鳥

ラダックの鳥

2020-12-02

 どんな時にもジャッジではなく、愛がある。

一つの同じ雲を見続ける事はできない。

それは存在しないのだから。

そこには広い、広い空がある。


でもエゴにもありがとうと言いたい。いつも私を安全にしてくれようと、守ろうとしてくれてありがとう。

2020-10-06

「 経験をジャッジするのではなく、インクワイアリーに変えていく」

DLTのコース中でのエミリオの言葉。

段々と自然にそうしている自分に気が付いた。自分のエゴ構造との付き合い方が変わってくる感じだ。

そこにいると、問題は何もない、という事にも気がついて、ハートが柔らかい。


2020-09-25

インクワイアリー

ふっとインクワイアリーは祈りのようだなと思った。

そういう風に感じることが自分でも意外な感じがして、少し驚いた。外観が違うというか何か要素が違う感じがするものが、自分の中で通じた感じ。

何に対しての祈りだろう?

自分の魂、かな。言葉にすると。

自己探究して自分の中の色々に触れていく、それが魂や存在に捧げる祈りのように感じた。

インクワイアリーが祈りのようだなんて、すごく究極的かもしれないけど、今までDLTでインクワイアリーを続けてきて、自分の中にふと湧いて出てきたこと。

そこには神聖な真があるということ、再発見した。

2020-03-04

ポロっと

自愛の深さは、今の自分の深さしかわからない。さらに深くなった時にやっと、以前よりも深い場所があったことがわかる。
自分の中のギリギリの醜いところ、自分を維持するために持たざるを得なかったもの、慈愛を持ってそれと共にあると、自愛の深さがさらに深くなって、それは他者への肚からの理解、共感を生むと思う。「人には長所も短所もあるんだよ」というふわふわした善ではなくて、長所も短所もなくなって、ただその人がいる。

...先日のDLTのコースから感じていたこと、吐き出してみたくなった。

2020-02-10

吐いて 吸って

自分への思い込み—自分のあり方の根底近くにあるものだと思う—、ジャッジに気が付いたら、生きていることは、もっとシンプルなのでは、と感じた、そうしたら今までそこにあることに気が付かなかった側頭部の緊張がどぅるんと緩んで、ただ自分の吐いて吸う呼吸の、息の中に自分がいた。